2002. 10. 28 Mon. 晴れ
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これにヒトコト
road journey
現在の京都の街は、もちろんのことながら平安時代の平安京とは市域が異なっている。東西南北全方向に市域が拡大されていったが、平安京範囲外でも碁盤状に道路がひかれていったため、今となっては境界線が分からなくなっている。
だがしかし。調べてみたらやっぱり名残はかなり発見できた。
右図1はmapionの地図に平安京条坊図を重ねたもの(の、縮小版。オリジナルはPhotoshopで91MB。左のも398KBあるので注意)。
かなり正確に現道と一致しているし、道幅も再現性が高い。これを元にいろいろ眺めてみた。

図3
  1. 平安京、そして現在の道路も、東西南北方向から微妙にずれている。反時計回りに0.6度ほど。
    ぼくの地図の見方が間違っているか、地軸が平安時代とずれたからか、地殻が変動したからか。

  2. 国道1号の「五条通り」は、旧六条大路付近である。
    また、その後の堀川通りは、堀川小路を拡幅したもの。途中で斜めに蛇行して油小路を拡幅したものへと移行。

  3. 平安京の端っこは以下の通り。
    北 一条通(一条大路)
    南 九条通(九条大路)
    西 現道なし。花園駅あたり(西京極大路)
    東 寺町通付近(東京極大路)

  4. 中央の朱雀大路は、北部では現在の千本通り。 千本丸太町が大極殿跡。聚楽第も同じ場所にあったそうだ。
    南部では市場や線路などの用地となっている。羅生門付近の地図(右図2)を見ると、旧朱雀大路の路側が小路2本になり、中央部は区画となっているのがよく分かる。この区画の幅が朱雀大路の幅員で約80m。文献と一致。

  5. 平安京には朱雀大路の他にもいくつかの大路があったが、そのほとんどが現存していない。
    たとえば左図3は 西大路三条付近だが、 水色に塗ったのが往時の道祖大路、赤く塗ったのが現存する通り(名称不明)。大通りの役割は、平安時代にはなかった西大路に引き継がれている。

    道祖大路に比べ現在の道は蛇行しているが、道祖大路の幅員からはあふれていない。
    これは、道祖大路がいつかの時点で荒廃し、道路上に人が住みだしたか露天が並ぶようになり、自然と道路域が浸食されていったためと予想できる。

  6. 下の図4は、三条大橋付近である。
    三条大橋は後世に東海道の終点となる。
    よくみると、赤で囲ったように、三条通は一カ所で向きを変えている。
    東京方面から来ると、西南西方向だった道路は、寺町通り付近で真西向きに向きを変えている。
    くしくも、このポイントは旧平安京の端っこ。東海道は、斜めに平安京に突き刺さっていたことが分かる。

    図4



最終更新日2002. 10. 28 Mon.
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